問題の確認
dynamics#36各設問の思考プロセス
この問題は、加速する電車内という「非慣性系」における物体の力のつり合いと、その後の放物運動を「慣性系(地面)」と「非慣性系(電車内)」の両方の視点から分析する、力学の総合的な問題です。「どの立場から見るか」によって、現象の記述方法が異なることを理解するのが鍵となります。
この問題を解く上で中心となる物理法則は以下の通りです。
- 非慣性系における力のつり合い(慣性力): 加速する乗り物の中から物体を見ると、実際の力(重力や張力)に加えて、加速度と逆向きに大きさ\(ma\)の「慣性力」という見かけの力がはたらいているように見えます。(1)と(3)はこの視点で解くと便利です。
- 慣性系における運動(放物運動): 地面にいる観測者から見ると、糸が切れた後の物体は、初速度を持って投げ出された物体と同じ放物運動をします。(2)はこの視点で解きます。
この問題を解くための手順は以下の通りです。
- (1) 加速度を求める: 電車内にいる観測者の視点で考えます。この人から見ると、小物体は\(\theta\)傾いて「静止」しています。これは、下向きの「重力」、糸の向きの「張力」、そして左向きの「慣性力」の3つの力がつり合っている状態です。力のつり合いの図から、加速度\(a\)と\(\tan\theta\)の関係を導きます。
- (2) 地面から見た落下位置を求める: 地面にいる観測者の視点に切り替えます。糸が切れた瞬間、小物体は水平方向に速さ\(v\)で、鉛直方向には初速度0で運動を開始します。鉛直方向の自由落下運動から床に落ちるまでの時間を計算し、その時間で水平方向にどれだけ進むかを計算します。
- (3) 電車内から見た落下位置を求める: 再び電車内の観測者の視点に戻ります。この人から見ると、糸が切れた瞬間の小物体の初速度は0です。しかし、小物体には常に左向きの慣性力がはたらき続けるように見えるため、左向きに加速しながら落下するように見えます。(2)と同じ落下時間を使って、その間に水平方向にどれだけずれるかを計算します。
各設問の具体的な解説と解答
(1) 加速度の大きさ a を求めよ。
問われている内容の明確化
糸が \(\theta\) 傾いて静止している状態から、電車の加速度 \(a\) を求めます。
具体的な解説と立式
電車内の観測者から見ると、小物体は静止しており、3つの力がつり合っています。
- 重力: 鉛直下向きに \(mg\)
- 糸の張力: 糸の方向に \(T\)
- 慣性力: 電車の加速度と逆向き(左向き)に \(ma\)
これらの力のつり合いを考えます。張力\(T\)を水平成分と鉛直成分に分解すると、
- 水平方向のつり合い: \(T\sin\theta = ma\)
- 鉛直方向のつり合い: \(T\cos\theta = mg\)
この2つの式から \(T\) を消去するのが定石です。下の式を上の式で割ると、
$$\frac{T\sin\theta}{T\cos\theta} = \frac{ma}{mg}$$
これを整理すると、
$$\tan\theta = \frac{a}{g}$$
この式を \(a\) について解きます。
使用した物理公式:
- 慣性力
- 力のつり合い
計算過程
$$
\begin{aligned}
\tan\theta &= \frac{a}{g}
\end{aligned}
$$
両辺に \(g\) を掛けて、
$$ a = g\tan\theta $$
\(a = g\tan\theta\)
(2) 床に落ちた瞬間の小物体の位置は、電柱Pから水平方向にDだけずれていた。Dをa,h,vを用いて表せ。
問われている内容の明確化
地面にいる観測者から見た、糸が切れてから小物体が床に落ちるまでの水平移動距離 \(D\) を求めます。
具体的な解説と立式
糸が切れた後の小物体の運動を、地面にいる観測者から見て、水平方向と鉛直方向に分けて考えます。
- 鉛直方向: 初速度0で、高さ \(h\) を自由落下する運動。
落下にかかる時間を \(t\) とすると、自由落下の公式より、
$$h = \frac{1}{2}gt^2 \quad \cdots ①$$ - 水平方向: 糸が切れた瞬間の速さ \(v\) で、時間 \(t\) の間、等速直線運動をする。
水平移動距離 \(D\) は、
$$D = vt \quad \cdots ②$$
まず式①から落下時間 \(t\) を求め、それを式②に代入して \(D\) を計算します。
使用した物理公式:
- 自由落下: \(y = \frac{1}{2}gt^2\)
- 等速直線運動: \(x = vt\)
計算過程
まず、式①を \(t\) について解きます。
$$ t^2 = \frac{2h}{g} $$
$$ t = \sqrt{\frac{2h}{g}} $$
次に、この \(t\) を式②に代入します。
$$
\begin{aligned}
D &= v \times t \\[2.0ex]&= v\sqrt{\frac{2h}{g}}
\end{aligned}
$$
(注:問題文の「a,h,vを用いて」は、これらの変数が解答に含まれてもよい、という意味であり、gが含まれてはいけない、という意味ではないと解釈するのが一般的です。)
\(D = v\sqrt{\displaystyle\frac{2h}{g}}\)
(3) (2)の現象を電車の中の観測者から見たとき…水平方向に距離dだけずれていた。dをh,\(\theta\)を用いて表せ。
問われている内容の明確化
電車内の観測者から見た、糸が切れてから小物体が床に落ちるまでの水平移動距離 \(d\) を求めます。
具体的な解説と立式
電車内の観測者から見ると、糸が切れた瞬間の小物体の初速度は0です。
糸が切れた後、小物体には以下の「見かけの力」がはたらき続けます。
- 鉛直方向: 重力 \(mg\)
- 水平方向: 慣性力 \(ma\)(左向き)
この運動を水平・鉛直に分けて考えます。
- 鉛直方向: 初速度0で、重力加速度 \(g\) で高さ \(h\) を落下します。したがって、落下時間 \(t\) は(2)と同じで \(t = \sqrt{\frac{2h}{g}}\) です。
- 水平方向: 初速度0で、左向きに一定の力(慣性力 \(ma\))を受け続ける等加速度運動をします。
このときの水平方向の加速度(左向きを正とする)の大きさを \(a’\) とすると、運動方程式は \(ma’ = (\text{慣性力}) = ma\)。よって、\(a’ = a\) となります。
時間 \(t\) の間に、初速度0、加速度 \(a\) で移動する距離 \(d\) は、
$$d = \frac{1}{2}at^2 \quad \cdots ③$$
この式に、(1)で求めた \(a = g\tan\theta\) と、落下時間 \(t = \sqrt{\frac{2h}{g}}\) を代入して \(d\) を求めます。
計算過程
式③に、\(a\) と \(t\) を代入します。
$$
\begin{aligned}
d &= \frac{1}{2}a \cdot t^2 \\[2.0ex]&= \frac{1}{2}(g\tan\theta) \cdot \left(\sqrt{\frac{2h}{g}}\right)^2 \\[2.0ex]&= \frac{1}{2}(g\tan\theta) \cdot \left(\frac{2h}{g}\right) \\[2.0ex]&= h\tan\theta
\end{aligned}
$$
(\(g\) と \(2\) がきれいに約分されて消え、指定された文字 \(h, \theta\) だけで表せることがわかります。)
\(d = h\tan\theta\)
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問題全体を通して理解しておくべき重要な物理概念や法則
- 慣性力: 加速する座標系(非慣性系)で物体の運動を考えるときに導入される見かけの力。大きさは \(ma_0\)、向きは座標系の加速度 \(a_0\) と逆向き。これを導入することで、非慣性系の中でも、静止した系と同じように力のつり合いや運動方程式を立てることができる。
- 座標系の変換: ある現象を、静止した観測者(慣性系)から見るか、運動する観測者(非慣性系)から見るかで、運動の記述の仕方が変わる。両方の視点を使い分けることで、問題をより深く、また簡単に解ける場合がある。
- 運動の独立性: 放物運動のように、2次元の運動は互いに直交する2つの方向(水平と鉛直など)の運動に分解して、独立に考えることができる。
類似の問題を解く上でのヒントや注意点
- 観測者の立場を明確にする: 問題を解く前に、「自分は今、地面にいるのか?それとも電車に乗っているのか?」という視点をはっきりさせることが重要です。それによって、考えるべき力が変わってきます。
- (1)のつり合いの図: 慣性力を含めた3つの力(重力、張力、慣性力)のベクトル図を描くと、\(T\)が斜辺、\(mg\)と\(ma\)が他の2辺となる直角三角形ができ、\(\tan\theta = ma/mg\) の関係が視覚的にすぐにわかります。
- (2)と(3)の時間の共通性: 落下にかかる時間 \(t\) は、鉛直方向の運動だけで決まります。小物体と床の鉛直方向の相対的な運動は、地面から見ても電車の中から見ても変わらないため、落下時間はどちらの立場で計算しても同じになります。
よくある誤解や間違いやすいポイント
- 慣性力の向き: 慣性力は、観測者が乗っている乗り物の加速度と「必ず逆向き」にはたらきます。これを混同しないように注意が必要です。
- (2)での間違い: 糸が切れた後も、小物体が電車と同じ加速度 \(a\) で水平方向に加速し続けると勘違いするミス。糸が切れた瞬間、小物体にはたらく水平方向の力はなくなるので、地面から見れば、その瞬間の速度 \(v\) で等速直線運動をします。
- (3)での間違い: 電車の中から見ても、小物体がただ真下に落ちる(\(d=0\))と考えてしまうミス。観測者自身は電車と一緒に右に加速し続けていますが、切り離された小物体は水平方向には加速しない(地面に対しては等速)ため、観測者から見ると小物体はどんどん左後ろにずれていくように見えます。このずれの原因が「慣性力」です。
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